2章4〜7節
2:4 兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。 2:5 また、競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。 2:6 労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです。 2:7 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。 |
4節 私たちは、サタンの手から解放され、キリストを司令官とするキリストの兵士となりました。敵は人でなく、暗闇の主催者であるサタンです。またその戦いの原動力は、キリストの恵みです(1節)。キリストの兵士として戦っているから、兵役についているのと同じです。兵役についている時は世の汚れや欲に巻き込まれている余裕は本来ないのです。
キリストの兵士は“徴募した者”(キリスト)を喜ばせるために生きるのです。司令官であらわれるキリストを喜ばせることが私の喜びであり、キリストを悲しませることは、私の悲しみとなるのです。
5節 競技者が規定にしたがって競技をすることは、自分の思い通りにはできないので苦しみが伴います。でも優勝という栄冠を得るためには、その苦しみが必要です。キリストに従う者も、天国の栄冠を頂くまでに苦しみを経験します。それは救いの条件ではなく、イエス様についていく結果として通らされる道です。なぜならイエス様も十字架の道を歩まれたからです。ただイエス様についていく時には、苦しみに上回るよろこびが与えられるのです。
6節 労苦した人が結果的にキリストにある実にあずかることができます。福音を伝えるために労苦した人はその一人の魂が救われる実を見せて頂く時、だれよりも大きな喜びに満たされるのです。
Tコリント9章19〜23節で、パウロは自分自身は自由な身だけで、より多くの人をキリストの元に連れてくるために、その人と同じ目線に立って福音を伝えました。パウロがすべてのことを福音のためにしたのは、パウロ自身も福音の恵みをともに受けるためでした(Tコリント9章23節)。福音を伝えることでパウロ自身が多くのキリストにある実と霊感収穫にあずかることができたのです。
サタンの捕らわれ人がキリストの元に帰ってくるために、泣きながら出て行った人は喜び叫びながら収穫を携えて帰ってくることができるのです(詩篇126篇)
7節 パウロは「共に苦しむ歩み」について、よく考えるように勧めます。その苦しみは、主のための苦しみであり、涙に上回る主の喜びが備えられているのです。その苦しみの意味も最終的に理解し受取らせてくださるのは、主のして下さることなのです。
私たちは、今なおサタンの捕獲となって虐待を受けている(また虐待されていることさえ気付かずにいる)人々を奪還して、私たちと同じ天の栄冠を受ける人々とするためサタンと戦っているのです。そこには苦しみが伴いますが、奪い返した時の喜びは計り知れません。サタンの捕獲となって、地獄にまで引き連れようとされている人々を助け出すため、また更に私たちも福音の恵みの豊かさにあずかるため、福音を伝えていきましょう。心を開いている人が周囲にいるはずです。まずその人々のために祈りましょう。
質 問
@ キリストの兵士として生きるため、生活の中でやめるべきと、思われることは何ですか。
A サタンの手から取り返したい人は誰ですか?。
今 心を開いていて、福音を語ろうと思う人は誰ですか?。